玄倉川事故20年 救えなかった

玄倉川事故20年 救えなかった
流された後、対岸の崖にしがみついたキャンプ客を助けようと懸命に行われた県警や消防、自衛隊による救助活動=山北町の玄倉川(1999年8月15日撮影)  中州でキャンプをしていた行楽客が増水した川に流され、13人が死亡した山北・玄倉川水難事故から14日で20年になる。
本署当直だった武尾法久さん(46)=現・市消防本部小田原消防署国府津出張所=は普段の自転車通勤をやめて徒歩にした。実際、雨は前日の13日昼ごろから降り始め、山北町の丹沢湖周辺では同日正午から15日午前0時までの総雨量が271ミリと、わずか1日半で通常の1カ月の8割程度の雨が降った。「中州に残っているグループがある」。
午前8時半の当直交代直後の出動。中津川正哉さん(44)=現・同消防署=は「中州」と思った。
だが、丹沢湖への入り口にある玄倉川橋から玄倉川を2キロほどさかのぼった現場は、想像を絶していた。激しい雨でけぶる川の中に、十数人の一団が見える。距離にして70~80メートル。
中州は既に水没し、残りの人たちが互いの体をつかみ、下流側に楕(だ)円(えん)形になっていた。取り残された人数について出動時に「何人かいる」とだけ聞いていた副隊長の大澤恵一さん(55)=現・同消防署南町分署=はその数に驚く。
子ども6人をピストン輸送するという救出プランで、大澤さんと内田さんが対岸に回ることになった。
玄倉川橋まで戻って対岸に渡ると、あとは足場を探しながら上流方向へ崖を移動していった。石灰岩でもろく、雨で滑った。内田さんは「危ない場所もあったが、急がないと、と必死だった」と振り返る。
この間、残った隊員は歩いて川を渡れるかを試した。武尾さんが先を持つロープを体に巻いた中津川さんが、川に足を踏み入れ数歩進んだ。水流ですぐに靴の下の砂がさらわれ、足が沈んでいく。
さらに体全体が水中に沈み、流された。武尾さんに引き上げられた中津川さんは「自力で川を渡るのは無理だった。ボートだったとしても難しかったかもしれない」と当時の水流の強さを思い出す。
大澤さんらは約1時間半かけて現場の対岸に着いた。救命索(ロープ)が付いた先端部を飛ばす発射銃を放ったが、1発目は立ち木に引っ掛け失敗。
太さ3ミリのロープを2本結びつけて対岸から引っ張った。水流が強く、固く握り締めた手から救命索が持って行かれてしまう。大澤さんが救命索を後ろの立ち木に巻いて抑え、内田さんが少しずつ引いていった。
水面を対岸へ動いていく3本のロープの結び目が、強い水流で激しく回転していた。あと少しで内田さんの手が結び目に届くところだった。そこで救命索が切れた。
激しく回転していたため、ねじり切れたのだ。そのすぐ後、中州に取り残されていた一団が崩れるようにゆっくりと流されていった。玄倉川水難事故1999年8月14日、山北町玄倉の玄倉川の中州で前日からキャンプをしていた子ども6人を含む行楽客18人が大雨やダム放流による増水で取り残され、救助活動中に流された。
5人は救助されたが、13人が死亡した。
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twitterの反応

Uのおやじ @U_U_papa

【玄倉川水難事故】「殴るぞ!失せろ!」「早く助けろ!」再三の退避勧告を無視してキャンプ続行!13名死亡 より

うえでぃー @Uedy_

子どもを道具や免罪符として扱う馬鹿親が多過ぎる 100%エゴで作っといて都合が悪くなると被害者面 玄倉川水難事故みたい 低知能だから自分の愚かさに気付かない

深夜の何かbot @shinyanonanika

【玄倉川水難事故】 平成11年8月14日に神奈川県足柄上郡山北町の玄倉川で発生した水難事故。中州でキャンプと言う危険な行為をしていたグループが、地元住人や警察・消防の度重なる避難勧告を無視。増水で流され計13名が死亡した。被害者(生存)による救助関係者への暴言などが話題に。

ののうの @ohkun32

なんかこんな事もあったなあ。思い出してしまった玄倉川水難事故。キャンプって大人はアルコールも入ってるだろうし、子どもに気を配れなくなったり正常な判断が鈍るんだろうな。

関 鷹雄 @oilking_wolter

玄倉川水難事故 DQNの川流れで有名になった水難事故。キャンプ場が一つ閉鎖された事例

ぼんちゃん @b_bonchang

【1999年】神奈川県山北町・玄倉川水難事故(DQNの川流れ)まとめ - NAVER まとめ 20年も経って知らない人多くなってきたから、リンク貼っておきます。


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